命日。 [歴史モノ]
今日は藤吉の命日です。
昨日15日が坂本龍馬、明日17日が中岡慎太郎の命日です。
藤吉は龍馬の従僕。「龍馬がゆく」では軍鶏を買いに行って…
龍馬が暗殺されたのは、慶応3年11月15日。
旧暦なので、厳密に言うと1867年12月10日なのだが、
命日は11月15日である。
幕末~明治維新における諸藩の役割を考えた時、
“大政奉還”という幕府へのとどめをさしたのは土佐藩である。
龍馬の船中八策がベースになっているのは周知だが、
龍馬→後藤象二郎→山内容堂→徳川慶喜という経路で献策された。
つまり、薩摩、長州ではなく、土佐藩だけによる
政治的無血クーデターだったわけである。
11月15日の近江屋事件で、龍馬と中岡を同時に失った土佐藩だが、
その後活躍する藩士は、後藤象二郎と幼馴じみの板垣退助。
後藤象二郎は、新政府では参与・参議になり要職を歴任するも、
征韓論に敗れ、西郷や板垣とともに下野。
が、後に政界に復帰し(!)またまた大臣を歴任し大活躍。伯爵に。
ビジネスにも手を出すがこちらは失敗。岩崎弥太郎に売却。
長女は岩崎弥太郎の弟と結婚している。
なかなか上手に生きた人なのかも知れない。
藩軍司令だった板垣退助も、参与・参議となり要職を歴任。
征韓論に敗れた後は、自由民権運動を唱え、袂を分かれていく。
第一次大隈重信内閣(隈板内閣)で内務大臣として入閣するもすぐ辞職。
「板垣死すとも自由は死せず」は有名。
伯爵となり大正8年まで生きた(82歳)。50銭札、100円札にも登場。
魂の人。不器用な人だったのかも知れない。
そして、岩崎弥太郎は、書くまでもなく三菱財閥を築いていく。
そしてそして、山内容堂公。
大政奉還、王政復古の大号令などの立役者でありながら、
その後は、徳川擁護にまわるスタンスも見え隠れ。
新政府では、内国事務総長というもの凄く偉い役職に就くが、馴染めずに辞職。
(何に馴染めなかったかというと、元家来とか領民との仕事に馴染めなかった)
隠遁後、妾十数人との酒と作詩の晩年をエンジョイ。常に豪儀でロックンロール。
明治5年46歳で脳溢血で死去。つまり、大政奉還を献策した時は41歳(!)。
「龍馬伝」の近藤正臣演じる“鯨海酔候”は鬼気迫るのだが、実は僕より年下。
“容堂公が日本を変えた”と言っていいほど果たした役割は大きなものなのだが、
果たして、本人の描いていた未来はどうだったのだろう?
幕末、最も歴史の大きな力に翻弄された人なのかも知れない。
そんな「龍馬伝」もあと3回。
ちなみに、どうでも良いことですが、
大政奉還のちょうど100年後の1967年は僕が生まれた年です。
たった100年前の出来事なんですよね。















